今期の役員と委員会構成

メンバーからの一言

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チャーターナイト25周年記念を記念して編纂した「桜獅子」より抜粋して掲載してゆきます。

第9回


桜門ライオンズクラブニ十五周年を祝して
※人と人との出会いを大切に
L増田敏泰
私は二十八歳の時、株式会社増田建設の社長となり同時に静岡県下田市の下田ライオンズクラブに入会させて頂きました。
 社長に就任したばかりでも有り、まだ若干二十八歳の時に御縁が有り、大蔵の事務次官を長く務められた坂入長太郎経済学博士との繋がりが出来、(坂入先生とは先生がお亡くなりに為る迄親交が続いた)政財界の中心的存在で有った青木一男先生の組織する日本財政研究会の評議員としてお仲間に加えて頂きました。日本の政財界トップの方々からも「こんな若さで此の会に入会して来たのは、会が出来てから初めてだ」等言われて皆様に大変可愛がられ御面倒を掛けて戴き、若輩である私成りの考え方を投稿させて頂くなど、自分としては大変緊張の中に自分を磨く為にも無我夢中であったのですが、今考えると、大変な勉強と経験を得る事が出来たのです。

 調度其の頃東京に支店が有った事も関係して、日本大学理工学部土木工学科の生徒にコンクリート工学を教え、コンクリートの塑性理論を発表し、日本に於ける一人者と成った、故小野竹之助名誉教授にも心に掛けて頂き、御一緒に地震に因り構造物が倒壊した物の補強復旧、軟弱地盤改良に関連した研究等に加えて頂き、大変な忙しさに追われて居た為、下田のライオンズクラブに於いてはあまり出席率の良く無いライオンで有ったのです。

 二十六年位前に、日本大学静岡校友会(団長松井Lで副総長他)の、日本大学韓国校友会交流親善訪問の際に、ユニバーシティ独自のライオンズクラブが存在することを知りました。日本でもユニバーシティのライオンズクラブを作る為に大先輩であり大変面倒見の良い松井Lからの要請で、「東京桜門LC結成の為に参加しろ」との命を受け、十五年間在籍した静岡県下田LCから移籍したのが二十五年前に成ります。

 チャーターナイト当時は学校側からは理事長、副総長、多くの学部長、事務局長、企業側からは大手企業の重役を始め各方面からのメンバーばかりが集められました。当時としては若手の内に入った立場上、どんな事が有っても皆出席で参加する努力をしなければならないと思い、何時の間にか二十五年間皆出席、しかもチャーターメンバーも、自分を含めても八名と成り、全メンバーの中に於いても年齢的には頭から数えた方が早い様な、あっと言う間の時の経過を思い知らされて居る現在ですが、その間にも多くのお仲間と出会い、多くの別れも有りました。私自身、「人と人との出会いを一番大切に」をモットーにと考えると大変辛い別れの方が多かったのではないかと思います。

 だがしかし、我が桜門ライオンズクラブは日本大学卒業者(同窓)と言う特殊な母校愛に依る繋がりと先輩後輩として絆の繋がりと、ライオンズの目的である友情相互理解の絆的繋りと合体し、大変固い組織的結集力を持つ、他に類を見ない、自他共に素晴らしいクラブである事を御認め戴ける一員として、活動させて頂ける事に感謝して居ります。

 現在はヘルニヤと言う病の中で、腰、足と言った所の痛みに耐えながら苦闘中ですが、四十年間続けてきたライオンズ生活を今後も続けられるよう努力して、皆様に付いて行ける様頑張る所存です。