今期の役員と委員会構成

メンバーからの一言

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チャーターナイト25周年記念を記念して編纂した「桜獅子」より抜粋して掲載してゆきます。

第5回

桜門LC此処にあり〜二十五年前を懐古して〜
                  L松井健治

 二十年前に天下のライオンズクラブに「桜門LC此処に在り」と発表したレポートが出て来ました。その後のメンバーに読んでいただき、当時の苦悩を知っていただければ幸甚です。

誕生の苦悩から此処に五周年を迎へて
      桜門LCCN五周年委員会
             実行委員長 松井健治

  鈴木総長と新国初代会長、そして嘉悦元ガバナー、此の三人の協力がなければ桜門LCは誕生しなかったと思います。
  昭和五十三年十二月の初句頃だったと思いますが、総長室で総長から桜門の名を冠することの手続き、そして初代会長は新国先生がふさわしいのではないかとのアドバイスがありました。直ちに川崎先生の部屋から総長の気持ちが伝えられ、新国会長が実現することになりました。
  今にして思えば総長のアドバイスは真に適切で、初めてのクラブということで、私は三年間幹事として新国会長のセクレタリーを務めさせていただきましたが、桜門LCにふさわしい風格をもたれた会長はライオンズ経験二十年の私でも、ハッとする程、既にライオンズなるものをマスターして居られました。他クラブに対しても常に誇りに思い、また、やり甲斐のある三年間でした。
  日本大学の先輩、後輩が集い、ユニバーシティクラブという難しい、パイオニア的なクラブを創生出来たのも、新国会長のお人柄によってこそと思います。また、LCの性格を熟知のうえ、新国会長をとアドバイスしてくださった総長の先見性に脱帽した次第です。お陰で、桜門LCは今日五年目を迎える船出が出来たのです。
  部外者では、桜門LC誕生時の嘉悦ガバナーを忘れることは出来ません。当時、喜悦ガバナーは日本にも諸外国にあるユニバーシティLC実現を切望されて居りました。その気持ちは桜門LC一周年の寄稿に此のように述べて居ります。
  私はかねがねアクティビティの視野を拡げることを提唱してきた。そのためには、クラブ結成も地域社会との関連だけに依存することはどうかと考え、特に我々のスローガンであるインテリジェンスの見地からもユニバーシティクラブ実現に大きな期待を持っていたので、日本大学からお話のあったときには、まさに我が意を得たという思いがした。この知性と教養に満ちた日本最初のユニバーシティクラブが私のガバナー在任中に出来たということは、ライオンズの歴史に燦然として残るだけでなく、輝ける思い出として永久に私の心に焼き付いて離れないのである。
  これは嘉悦ガバナーの気持ちを率直に表明されて居るのでありますが、これが喜悦ガバナー以外の方だったら、必ずしもこれ程ユニバーシティLCに情熱を持って取り組んで呉れたでしょうか。私は甚だ疑問に思います。その後の様子を見ましても、日本の土壌の中でヌクヌクと育ってきた地域クラブという、些かセクショナリズム的なものに固執しているように思われるからです。今更ながら桜門LC誕生時のいきさつを知る者の一人として、これ等の方々に感謝せずにはいられません。
  然し、その後の桜門LCの活躍は支援者の期待に応えるべく、特にアクティビティに於いて目を見張るものがあったと思います。
  誕生一年目にして、会員増強優秀賞は三三〇−A地区、百四十九クラブ唯一の金賞と、国際児童年特別賞を獲得、更に二年目には複号地区大会に於いて三三〇−A地区、百五十二クラブを代表して唯一のアイデア、アクティビティで最優秀賞の栄に与りました。続いて翌年は、更に国際障害者年にあたり、東京都清瀬園、青梅学園、多摩藤倉学園にマイクロコンピューター、電子体温計、吸引器、複写機等を寄贈、更に四年目は我々のシリーズとして続けている難民救済のアフターケアとして、難民収容施設にバスケットボール、バレーボール施設、テレビ、ベッド寝具等を寄贈、数々のアワードを頂戴しましたが、此の五周年を迎えるアクティビティ記念事業としては、且つて難民として捨て去られ、今なお、お気の毒な状況にある中国残留孤児のため、財団法人中国残留孤児援護基金への参加を予定しているのであります。
  これらの奉仕活動と共に立教大学のセントポールLCのスポンサーとなり、エクステンションをしたことであります。
  ひとつのクラブを誕生させることがどれだけ大変なことであるかは多くの先輩LCの知るところでありますが、僅か五年の間にこれだけのアクティビティやエクステンションを成し遂げたLCが、果たしてあるでしょうか?これは日本のライオンズの歴史に於いても特筆すべきことだと思います。
  私はLC在籍二十六年になります。地方の地域クラブに二十年近く在籍して、ライオンズの良さも、鼻につく点も厭という程体験して参りました。
  それでも今から六年程前、韓国校友会との交流で妻倉先生たちと訪韓した際、日大校友の当時のユニバーシティLC建国大学総長の郭ガバナーより、日本最初のユニバーシティLCは日本大学がつくるべきだという強い要請があり、帰国後の誕生の気運の中で、ライオンズ経験者の松井が協力するようにとのお声掛かりがあり、今更、地域を離れて新しいクラブに飛び込むことに、自分なりの抵抗がありました。
  然し、日大ナショナリズムに燃える、小生の血が決意しました。そして、やる以上はライオンズクラブ二十年の経験を全て桜門LCに投入しようと腹を決めて、あれから五年。 私は今、地域クラブでは得られなかったユニバーシティLCの良さを満喫して居ます。利害を超え良い意味の結束の良さがあります。
  大学では講義を余り聴かなかった自分等も、ユーモアに富んだメンバーである学部長先生方の卓話を今聴いたりして居ります。先輩、後輩と居りますが、クラブの中でそれが良きハーモニィとなって居り、地域クラブを経験しただけにユニバーシティクラブの良さが痛切にわかります。
  私は今、本当に母校のクラブに移籍して、私なりに努力したことに悔いはありません。これから更に五年、十周年の時には、桜門LCは素晴らしいクラブに成長していることを確信して止みません。

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