二十五年前、滝口先生より呼び出しの電話があり、何事かと大学に行く。
「北原君は、松戸でライオンズクラブに入っているそうだね。」「はい、松戸中央LCに所属しています。」
親父が北海道網走でLCのメンバーであったことと、長男の自分が家を継がなかったため(弟が跡を継ぐ)親父のゴマスリと考えて入会していた。当時私は松戸中央LCに入会して二年になる三十二歳であった。
滝口先生(当時、松戸歯学部長)は、「日本大学でLCをつくることになった。各学部より、学校関係一名、卒業生一名ずつでスタートするが、松戸歯学部の卒業生はまだ出たばかりなので、代わりに経験のある君に桜門LCに入ってもらいたい」ということでした。
学部長のお願いは絶対ですので、「了解しました。」と返事をし、松戸中央LCに移籍をお願いし、気持ちよく送り出してもらった。
桜門LCのチャーターナイトには、松戸中央LCのメンバーだけでなく、親クラブの松戸LCも一緒に、約三十名近い人に来ていただいた。
その後、私は松戸中央LCのチャーターナイト十周年、二十周年、二十五周年に出席している。
今でも、昔の仲間と時々地元で飲んでいる。
桜門LCのチャーターナイトの時に、親父は北海道のガバナーであった。(出席してくれた。)
親父が亡くなる前の年、桜門LCのメンバーの仲間に入れてもらい香港の世界大会に一緒に参加したが、それが親父との(ふたりでの)最初で最後の旅行となった。
時も過ぎ、時代が変わり、メンバーが少なくなってきたが、その時代、その時にあったクラブの運営を考えて、変化を受け入れて次の代に引き継いでもらえるようにしてほしい。 |